「こんにちは。お元気ですか」2011年
 

2011.12.26〜2012.02.12

 暖かくても寒くても年は暮れて明けて行きます。
 2011年は世界規模でいろいろな事がありました。1月はニュージーランドで地震、日本では鳥取が大雪に見舞われ、3月には東北地方で大地震、4月は“アラブの春”の一連の政変、そしてギリシャの経済破綻、9月10月のトルコの地震とタイの洪水etc…中でも3月11日の大震災では被災者等が仮設宿舎で迎える冬の事を考えると健康面でちょっと心配です。
 そして私事になりますが11月1日の父の急逝は大きなショックでした。その悲しみは心の奥底で未だに尾を引いているのを感じます。思春期の頃は大嫌いだったのに涙が溢れてくるのは何故なんでしょう? 亡くなってみて父への思慕が湧き上がってきます。苦しむことなく大往生でしたが、その肉体も消え失せ、声ももう聞えません。悲しいですが誰もが味わう苦しみです。誰も替わってはくれません。
 そして、その辛さを超えた時にいくらかの“成長”が自分にもたらされ、その経験がまた皆様のお役に立てるかもしれません。その時こそ父に感謝です。
 2012年も変化の大きな年になりそうです。来年は日本の周りの国々のトップがいっせいに交替します。
 さあ、「どうする日本!がんばれ日本!」
先ずは良い年になりますように、神様と仏様(になりたて?の父)に祈ってみましょう。  合掌                        (ヒロコ記・H23.12.2)

2011.11.07〜2011.12.25

 木々の葉がカサカサと音を立てて、朝晩の風が少々冷たくなってきました。気温が上がったり下がったりの季節の変わり目は、肺と気管支に大きい負担を与えるので気をつけなければいけません。東洋医学では秋は「肺」の季節とされています。
 肺は皮膚や免疫をコントロールしているとされています。肺は乾燥には強くありません。咳が止まらない時は多めの水分を摂ると痰のキレがよくなり、早く咳が止まるそうです。もちろん体を温めることは基本中の基本です。
 私も気管支拡張症という子どもの頃に罹った疾患を持っています。改善こそすれ、元には戻りません。不可逆性疾患のひとつだそうです。でもヨーガを始めてから数年経ちますが体調を自分でコントロールできるようになりました。もちろん、体の冷えを取ることが一番大事。そして気の流れを良くすること(体を弛緩して心の固まりを解く)、呼吸は吐く息を長くすることかと思います。
 私にとってはヨーガをすることで、ようやく普通の健康体の人と同等になれるのです。この体を維持して生きていくためには本当に必要な宝物なのです。感謝です。      
                            (ヒロコ記・H23.11.3)

2011.09.12〜2011.11.06

 台風12号が近畿地方に大きな被害をもたらして、やっと日本列島を抜けて行ってくれました。
 お休みをいただいての旅の足跡を、きれいさっぱり洗い流してしまうくらいの大雨でした。あのとき見た田園風景はどうなってしまったのでしょうか。黄金色の絨毯のように稲穂が実っていたのです。無事収穫できるのかと心配になります。
 今回は“日本一長いローカル線・山陰本線に乗る!”をテーマに旅してきました。中年夫婦が「青春18切符」を使った人情と風景を探しての旅です。
 おもしろい所がたくさんありました。車内もひと昔前の天井の扇風機だけで…ということもなくワンマン運転の2両編成、冷暖房完備。効き過ぎで寒いくらい。降りる時乗る時は自分でボタンを押します(この辺では青梅線、八高線のような…)。
何もかも便利なのは東京だけですね。
便利すぎる東京は異様な感じに映りました。その分、東京に暮らす者としては、その生活を大切に思わなければいけないなと思いました。離れてこそ見えてくるものがありました。一つ一つのことがありがたく、感謝です。           (ヒロコ記・H23.9.7)

2011.08.01〜2011.09.11

 頭の上からサンサンと太陽が照り続けてアスファルトの道にも日傘を差し掛けたくなる、そんな季節となりました。
 そんな「熱い夏」を払拭させてくれるような「なでしこジャパン」の活躍でした。世界一、優勝おめでとう!たぶん観戦していた日本人は感動の涙を流した人もいたと思いますが、なでしこの選手はみんな笑顔でしたね。
 思い出されるのが男子のワールドカップのPK戦です。負けたせいもあるのでしょうが泣いていましたね、オイオイと。やっぱり女性は強し!
女性が社会進出するようになってから「急いで!早く!」と仕事をするようになり、その忙しさの反動で「癒し」という言葉が出てくるようになったとある新聞のコラムで読みました。また、女性が言葉を略すようになったのも忙しさのせいであるとも言っていました。「スローフード」という言葉もその頃出てきたように思います。
やっぱり息切れはしてくるのです。物事を「急いで!早く!」こなしていたことに何か虚しさを感じていたはずです。自分の生き方を「丁寧」にしてみると見えなかったものが見え、気づかなかったことに気づき、「思いやりと情緒」が生まれてくると思います。「急いで!早く!」と合理的に生きてきたために「思いやりと情緒」を飛ばしてしまっているような気がします。この夏、日本人らしさを今一度ゆっくり考えてみてはいかがでしょうか。(ヒロコ記・H23.7.21)

2011.06.13〜2011.07.31

 おかげさまでヒロコヨーガランドも6月1日をもちまして20年を迎えました。平成3年のその日、小雨の降る少し蒸し暑い日でした。フェンシングクラブの一室を借りての「三鷹教室」として始めました。
 様々な人との出会いを糧として皆様に育てられながら20年やってこれました。本当に心より感謝いたします。ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。
 30代前半だった私も今はすっかり「オバサン」の仲間入り。でも、この「オバサン」というのも気に入ってます。年輪が少しづつ増えていくようで(シワも…^_^;)人として成長したよーと言われるような…(ポジティブシンキング!?)
人が成長するのにも時間がかかります。ましてや作物を作るのにはもっともっと時間がかかります。原発の放射能のために出荷停止に遭われた人はどんなに辛かったことでしょう。テレビの放映ではじめて「キャベツの花」を見ました。菜の花のような黄色の花です。本来なら収穫されるべきキャベツの花が咲いているのです。それが一面菜の花畑のようにきれいに咲いているのです。一瞬感動しました。が、キャベツの涙のような気がして悲しくなりました。一面の「黄色」が太陽の光の中で風に揺れていました。アメージンググレイスの曲が静かに流れているような、そんな気がした風景でした。  合掌 
(ヒロコ記・H23.6.4)

2011.04.25〜2011.06.12

 このたびの地震の影響で亡くなられた方にお悔やみを申し上げます。並びに被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。日本語には素敵な言葉がたくさんありますが、どの言葉を持ってしても勇気づけられる言葉が見つかりません。ただ、「負けないで」と申し上げたいです。
 私たちが生活しているこの水と緑の地球は、太陽からの距離と地球自体の大きさなど様々な条件の微妙なバランスの上で輝き潤っています。それは少しバランスを間違えれば火星のように乾いた砂漠のような星になってしまうそうで、本当に奇跡に近い状態で成り立っています。地球は宇宙の中の星のひとつなのです。
 宇宙の自然なバランスでできた地球なのだから、地震も津波も自然災害ですので避けられないと、人間はどの時代でも苦しくても悲しくても仕方がないと受け止めてやってきました。でも、戦争と原子力は人間が作り出したもの、いわば “エゴ”の塊なので避けられる要素を十分に持っていますよね。全人類のエゴの塊りを背負わされた日本国はこれからどこへ向かっていくのでしょうか。見えない負のエネルギーと戦うのには「祈り」という「正」のエネルギーで癒してあげなければ…母のように 
 合掌     (ヒロコ記・H23.4.15)

 

011.03.07〜2011.04.24

~春は名のみの 風の寒さや  谷のうぐいす 歌は思えど
 時にあらずと 声もたてず  時にあらずと 声もたてず~
「早春賦」という歌です。小学校唱歌ですが歌えますか?長野県の安曇野の2~3月の風景をうたった歌です。うぐいすも「時にあらず」ときちんと「空気」をよんで啼かなかったのですね。「KY」じゃなかったということですかね。
 KYなのは今の政治だけでしょうか。何ともセンスがないと感じられます。国の方針のなかでも農業と教育は特に振り回されているばかりです。日本は資源のない国なのでこのふたつは充分に議論して、し尽くして様々なことを決めてほしいと思います。
 日本の農業には世界に誇れる「お米」があり、野菜や果物も世界でいちばん美味しく作ることができる技術があると思います。教育は「日本人の心」をつくることであり国の要(かなめ)です。食べることと人材を作ることは国の在りようを左右することだと思います。どうか、政治家の皆さま、日本国が滅びないように本気で舵取りをお願いいたします。そして、私たち個人も今一度、日本国の姿とはどうあるべきか考える時が来ているように思います。うぐいすの鳴き声が谷にこだまして「ああ、いいね」と誰もが言えるようなゆったりと情緒を感じられる国であってほしいと祈るばかりです。 (ヒロコ記・H23.2.25)

 

2011.01.17〜2011.03.06

 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 正月は2、3日と私の実家へ行ってきました。来月で89歳になる母も、4月に86歳になる父もますます元気でそれぞれ自分のやりたいことをやっています。母は俳句教室へ出かけ、句会に出ることを、また、父は季節ごとに花卉・作物を植え、手入れすることを生き甲斐として生活の中に組み入れてバランス良く生活しています。二人とも今が一番仲が良く、良い生き方をしているなと思いました。
 昨年の12月のある日、母が「今年は、10年間実が成らなかった柚子が成ったのよ」と嬉しそうに話してくれました。そばに「吉祥草」があって「この花が咲くと良いことがあるんだって。花が咲いたから柚子がなったのね」と喜んでいました。母の後ろで父が笑っていました。『良いこと』が“柚子がなったことだ”と嬉しそうに話している母を私はますます尊敬し、この母から生まれて良かったと思いました。
 ある新聞に、農作業で死なせてしまった虫たちを供養する習慣があるということが載っていました。福島県の山あいの農家です。人々は弔いの鉦を鳴らし、花を手向けて秋から冬へ季節が移る中、小さな命に思いをはせる素朴な儀式を行なうそうです。「ごめんねって供養してあげないとね。虫も生き物だから生きたいんでしょうけど…」。殆どが60代以上の15世帯しかない集落で「虫供養塔」の前で「安らかに」とお祈りするのです。
人間はこの地球上で生きるうえで殺生という罪を犯しているのですから、花が咲き、実をつけたら素直に喜び、殺してしまったら「ごめんなさい」と手を合わせることは驕りのない人間になるためのルールのような気がします。(ヒロコ記・H23.1.5)